「誰も知らない、幻のエンディング」
(角川文庫 2001年9月25日初版 「男たちの荒野(まち) ブラディ・ドール読本」北方謙三・監修 より)
こういった機会なので、”ブラディ・ドール”シリーズの裏話を、いくつかご紹介させていただく。
決して作品の魅力を半減させたり、北方さんの名誉を傷つけたりするものはない・・・はずである。
私が北方さんの担当編集者になったのは、第三弾の『肉迫』からであるが、この作品は、シリーズ唯一の二部構成となっている。
なぜか?
それは、「野性時代」の一挙掲載になるはずが、北方さんからSOSが出て、半分ずつ、2回に分けての掲載となったためである。
ただし、北方さんのすごいところは、長編のストーリーを、綺麗に連作のそれに変えてしまったところにある。
さらにすごいのは、その二作が一冊になった時に、再び長編のストーリーとして成立しているところにもある。
以後、一度も原稿を落とされたことがないのは、よっぽどこれが悔しかったのではないのだろうか。
おしゃべりな殺し屋が生まれたのは、なぜか?
それは、作家が寒かったからである。
当時、北方さんは雪に囲まれた蓼科の別荘で執筆されていたのだが、突如として、家中の暖房が故障してしまった。
やむなく、暖炉に薪をくべ、毛布をかぶりながら必死で筆をすすめていたのだが、暖房の修理が終わり、原稿を読み返してみると、やたらとしゃべり続ける殺し屋が、そこに居たそうである。
彼こそが、第五弾『黒銹』に登場する叶である。
結局、途中から性格を変えることも出来ず、自称「おしゃべりな殺し屋」という、前代未聞のキャラクターが生まれたのであるが、それが何の違和感も与えないところに、やはり北方さんのすごさがあるのだ。
最後に、とっておきのエピソードをひとつ。
”ブラディ・ドール”シリーズの一作には、誰も知らない、幻のエンディングがあった。
これも、北方さんが極限状態に追い込まれて起きたハプニングである。
今度の季節は夏、舞台は都内のホテル。
執筆中の北方さんは、夜中にお腹がすいて、近くのコンビニでカレーパンを購入した。
しかし、残念なことに、そのパンの賞味期限は、表示されているよりも早く切れてしまっていたらしい。
締め切りは翌日の朝! ハードボイルド作家のお腹は"抗争中"!
七転八倒の中で書き上げたストーリーは、ひとことで言えば、ファミリードラマのハッピーエンドであった。
北方さんご本人も、ゲラ刷りになって初めて気がつき、あわてて後半30枚を一気に書き直したのであった。
これがどの作品であるのかは、あえて触れないでおく。
幻の原稿は、すぐに処分されたと聞いている。
もちろん、私の手元にも控えはない。
いや、もしかしたら、どこかに残っていて、何かの機会にその姿を現すかもしれない。
”ブラディ・ドール”ファンは期待して、その時が来るのを待ってみてはいかがだろう。