「時をかける少女」ーそのフレームの外にあった風景

「映画秘宝」別冊 「アイドル映画30年史」(03年10月16日発売)

映画はスクリーンの中に永遠を閉じ込めるものだ。――「時をかける少女」の公開から20年が経ち、初めてこの言葉が実感としてわかるようになった。
いまだにファンの間で話題になり、さらにはDVDやテレビ放映がきっかけで、新たなファンが増えるという現象は、この作品に関わった人間として名誉なことであると同時に、”謎”なのである。
そんな「時をかける少女」を、私は純粋に楽しむことが出来ない。
それは、フィルムに焼き付けられているシーンの前と後にあったもの、そしてフレームの外にあった風景が、自分の中で同時に再生されてしまうからである。
せっかくの機会なので、この映画の外側に何があったのか、思い出せる限り思い出してみたいと思う。
ファンにとって「知らなければ良かったということもあるんだよ・・・」ということにならなければ良いのだが。

■原田知世の魅力とは?

「時をかける少女」の魅力イコール原田知世の魅力である。
では原田知世の魅力とは何か?
これはもう、皆さんが思っていることすべてが正解なのである。
彼女には、出会ったスタッフ誰もがファンになってしまうという不思議なオーラがある。
カメラマンであれば「一番良い表情を撮ってあげたい」、照明さんであれば「一番キレイに見えるように光を当ててあげたい」――かく言う私は「一番輝かせるように相手役を演じたい」・・・というわけにはいかず、唯一の能力を生かして「ひとまず現場をなごませる」という役目を担当していた。
こういったスタッフのパワーの集結が、原田知世をさらに輝かせ、「時をかける少女」という作品になったのである。

■出会いの前に、別れがあった

映画は必ずしもシーンの順番通りには撮影しない。
頭では理解しているつもりでも、いざ当事者となると戸惑うものである。
「時をかける少女」は、おおまかに分けると、スキー場、スタジオ、尾道周辺のロケという順番に撮影が行われた。
つまり、理科室での芳山和子と深町一夫の別れのシーンが先であり、そこに至るまでのシーンが後から撮影されたのだ。
大林監督は、「このシーンはこう演じなさい」という指導ではなく、そこに至るまでの流れ、役が置かれている状況、心理状態などを説明して、「さあ、どう演じる?」と、ゆだねてくださる方である。
この理科室のシーンも、懇切丁寧にレクチャーしていただいたにもかかわらず、「出会ってもいないのに別れる???」ことが簡単には咀嚼できずに、最後まで悩み、混乱したまま撮影を終えたような記憶がある。
それがかえって「別れることの切なさが感じられる」と、良いように間違えて解釈してくれた方もいるそうだが・・・今さらながら申し訳ないと思う。

■その時、カメラはそこになかった

尾道の路地という路地を巡って、自力でロケ現場を見つけ出す熱心なファンがいらっしゃるそうだが、そんな方でも深町家の温室は見つけられない。
タネを明かせば、あれは巧妙に作られたロケセットで、撮影の直後に取り壊されているから当然のことである・・・失礼。
その温室のシーンであるが、"寄り"の映像が多く、カット割りが細かくなっていることにお気づきであろうか?
実はメインのカメラが故障してしまい、それでも撮影を休めるスケジュールではないので、苦肉の策としてサブのハンディ機を駆使して撮影されたのが、このシーンなのである。
引きがなかったのは、おそらくメイン機よりも画質が劣るからであり、また長いカットがなかったのは、小さいドラムリールに短い尺のフィルムしか装填できなかったためであろう。
幸い翌日には修理を終えたカメラが現場に届き、予定通りに撮影が続けられることになったのだが、偶然から生まれた映像が、あたかも必然のように見えてしまうというのも、またこの作品のマジックなのかもしれない。

■あのラッシュはどこに?

映画では、フィルムの現像が終わるまで、どのような映像になっているかわからない。
想像とあまりにも違うものになってしまうと、撮り直しを余儀なくされたり、その後のシーンを変更することもありうるのだ。
そこで、撮影が終わると直ちにフィルムを現像してチェックするのだが、これをラッシュと呼び、なぜか「時をかける少女」では出演者を含めて関係者全員でラッシュを見るという機会がひんぱんにあった。
スタッフは、それぞれ自分の仕事の成果がきちんと映っているか、それこそ目を皿のようにしてチェックするのだが、私は毎回試写会のつもりで楽しんでいた。
中でも印象に残っているのが、オープニングの深町一夫の登場シーン。
知世ちゃん演じる芳山和子が、大股で後ろ向きに歩きながら、振り返ったところで深町一夫の胸のあたりにぶつかるというものだが、NGテイクの中に、振り返るタイミングが遅すぎて、勢いのついた知世ちゃんに私がふっ飛ばされるというものがあった。
知世ちゃんの歩きに合わせてパンするカメラのフレームに、一瞬私が入ったかと思うと、次の瞬間に消えてしまう一部始終がしっかり映っており、大笑いをした。
今の時代であれば、きっとこういうものを全部とっておいて、DVDのおまけ映像や、公開直前の宣伝番組などで使うのではないかと思うのだが、残っていないことで、このシーンは密かな思い出し笑いのネタとして、誰にも邪魔されないまま、永遠に自分の頭の中だけで繰り返し再生されることになるのだ。

■ターニングポイントは崖のシーン

ファンにはおなじみ(?)の断崖絶壁で植物採集をする深町一夫のところに芳山和子が駆け寄るシーンは、安全な場所での撮影を後ではめ込んだものではなく、本当の断崖絶壁で撮影されたものであった。
崖の下に打ち寄せる波だけは後から合成されたものであるが、それ以外はすべて実写なのである。
この撮影の際、カット替わりで隣りの足場に移動したとたんに、それまで立っていた足場が丸ごと崩れ落ちるというハプニングがあった。
スローモーションで遠ざかる大きな岩が谷底で砕け散るまで、まばたきすらすることができなかったのだ。
その直後に「もう俳優なんてやってらんない!平凡なサラリーマンになって、休みの日には妻と子供を連れて焼肉屋に行くような生活をするんだ!」と叫んだそう(ちゃんと憶えていない)であるが、これを大林監督が面白がり、「天国に一番近い島」で、小林稔持さんが演じる添乗員がボヤくセリフとしてそのまま使われている。
無意識の発言にもかかわらず、今日きちんとその約束を果たしている自分がここにいる。

■答えは最初から示されていた

10年後に芳山和子と深町一夫が再会するエンディングシーンを、あなたはどう解釈するだろうか?
遠ざかる逆ズームが、二人がすれ違ってしまったことを示しているという説もあり、切ない思いで映画館を去ってもらいたくないために、賑やかなエンディングロールを用意したとも言われている。
これもまた、皆さんが思っていることすべてが正解で良いと思うのだが、私の父は映画を見たあとに、ポツンとこう呟いていた。
「良かったなぁ。また会えたんじゃないか」
どこをどう解釈すれば、ハッピーエンドに思えるんだ!と憤ったのだが、そのあとの父の説明を聞いて、なるほど一本とられた気持ちになった。
「だって――いつか出会うはずの恋人に出会ってしまった――って言ってるじゃないか」

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